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映画『子宮に沈める』感想

『子宮に沈める』という映画を見ました。

これは以前書いた映画『子宮に沈める』感想 | iCharlotteblue
を加筆修正したものです。ストーリーの結末に言及しています。

2010年7月に大阪市西区で起こった大阪2児餓死事件を題材にしています。

緒方貴臣監督2013年最新作『子宮に沈める』映画公式サイト
あらすじ - 映画『子宮に沈める』



オレンジリボンの活動に共感していますし、この映画の社会的な意義は認めます。
映画としても、面白い部分は多々ありました。

前半の父親不在の孤独な子育ての密室感。
後半、ぐっと切り替わる視点。被虐待児の視点。低いアングルから映し出される密室。
密室感に苦しんでいたような母親が、子供を密室に閉じ込めます。



しかし、看過できない部分もありました。

水商売の母親への偏見を助長するような、演出、ストーリーではなかったかと。
私は監督のイントロダクションには非常に共感しますし、また、現実の事件に対しても関心がありました。
私はこの映画を見る前、母親の解離状態がどう演出されているのか、そこを1番の楽しみにしていました。


現実の事件での頻出ワード、解離。
加害者は、被虐待児でした。被虐待経験のある人が「温かい家庭」を作り上げるのは、たとえ理解ある配偶者の協力があっても、努力を要することです。家庭、子育てを、苦しみながらも、実体験の「家庭」の雛形がない中、必死に頑張っています。

元被虐待児は虐待をするようになる、というのはもちろん誤りです。そのような偏見に苦しむ人もいます。そして、この事件の加害者の罪は、許される物ではありません。

被虐待児が陥りがちな、解離状態離人感。

しかしそれは、あまり見えなかった。

勿論、現実の事件を基にしているといっても、映画は映画です。

母親、由希子というキャラクターは、全く別の人物。私が受け入れられなかったのは、「よい母親」「わるい母親」の対比のさせ方です。

「よい母親」は家事ばっちり。丁寧な手料理。落ち着いた格好。専業主婦。
「わるい母親」は家事はおざなり。料理も手抜き。派手な格好。濃い化粧。シングルマザー。

前半の、余裕ある家庭での専業主婦、きちんと家事をこなす「よい母親」。

こぎれいなマンションで、ロールキャベツを作る。かわいいお弁当。よい母親になろうとしている由希子のファッションは、まさに典型的な「よい母親」、イラストに出てきそうです。

ストーリーが進み、離婚後、水商売を始めると、服装は派手に、所謂「ビッチ」風になっていきます。部屋に増えていく水商売用のドレス(派手な私服とは別)、ハイヒール、戯画化された女性性が、まるで悪の象徴のように……

娘は、クローゼットからドレスを取り出し、遊びます。ハートマークのついたハイヒールを触ります。

母親が男を連れ込み隣室でやっていた、セックスの真似事をします。
子供を顧みない男遊び、それは確かに「わるい」母親でしょう。
でも、仕事用のドレスや、ハイヒール、派手な私服は、「わるい」ものなのでしょうか?

あのほっこりロールキャベツ母さんが、悪い友達に誘われたが為に、夜の道に入って変わってしまったかのようにも見えて。

由希子の追い詰められる描写が、もっと見たかった。
ふっ、と現実を消し去りたくなる瞬間を、見たかった。

閉じ込めちゃうまでは、叱ったり怒鳴ったりイライラしたりあんまりしないので、(見せない演出なので)由希子は結構我慢強いなあなんて思ってたのですが。

覚悟していたような、キリキリする痛みはなく、「監禁」パートへ進みます。

閉じ込められた後の姉弟の描写はとてもよかったです。


最後の編み針はよくわかりませんでした。
息子は死んでいました。生き残っていた娘を浴室で殺し、並べ、母性の象徴として扱われていた編みかけのマフラーを子供たちにかけ、編み針を膣に挿入します。自慰行為なのか、自傷行為なのか。喘ぎ声が、苦しむ声に変わり、泣きます。

後々考えを巡らせると、意図するところはわからなくもないのですが、あのタイミングでのこのシーンは、正直冷めました。

私が、象徴としての生殖器に食傷気味だからかもしれません。

由希子はステレオタイプな母親像、2つの姿を見せます。

母という子宮/女性器(陳腐!) オンナという子宮/女性器(陳腐!)

それは、意図したものであったかもしれません。
しかし、児童虐待の現実を啓蒙するような内容ならば、
元々ギャルの「よい母親」でもよかったんじゃないか、私服はほっこり母さんのままで「わるい母親」になってもよかったんじゃないか、と私は思ったのです。