iCharlotteblueの備忘録(新)

TwitterやTumblrの文章まとめとか、制服とか、日記とか、告知とか。

試日記 12/22-1/30

12/22

私は頭が悪い。まず、頭が悪いことに悩むって時点でだいぶ頭が悪い。そして散々悩んで、ああ、まったく頭が悪いなあ、と思って終わる。この発展性のなさ。やはり、頭が悪い。
ざる頭なんですよ、と言ってみるが、そのざるもときどきひっくり返るので飽きれるばかりだ。実は今も、なにかを書こうとして忘れた結果の、頭が悪い。
語彙が少ないので、何事も頭が悪い、と表現してしまう。忘れっぽさから、視野の狭さから、計画性のなさやら。ああ、実はこの表現がすきなのかもしれない。
頭が悪いっていうと、なんか仕方ないかなって気がしてくる。仕方ないって思いたいのかもしれない。この怠けようも、やっぱり、頭が悪い。私のせいじゃないの、「頭」が、悪いの。と、一生懸命働いているであろう脳細胞に責任を押し付ける。
脳細胞っていっても色々あるはずだってさっき検索してみたけど、けっきょくどれのせいにすればいいかわからなかった。たくさんいろんなものがごにょごにょ頑張っている。
脳細胞が悪い!って、手癖の悪い子どもにこの手が悪いのか!って手をぺしぺし叩くイメージだったけれど、神経細胞の構造図とか見てたら、だんだんいとおしくなってきて、罪のないこの子たちをぺしぺしするなんて、自分はなんて悪い奴なんだろうって思えてきた。
ほら、小さいものは、無条件でかわいい。ちいさいものがぴよぴよ動いてる。たまらなく、かわいい。細胞レベルで擬人化すると、みんな生きている、私も生きているんだ、ああ、それだけで素晴らしいことだわ、ときらきらした気分になってくる。
命に乾杯!

http://i-charlotteblue.tumblr.com/post/38534856573/12-22

1/14

まだ人間じゃない。
わたしを堕胎するわたしを堕胎するわたしの思想、でも、もう図体は大きくなってどうしようもできなくって、せめて、もう少し人間になろうと思うばかり。思うだけなの。ごめんなさい。トラックに連れられるわたしを見守るわたしは明日にでも連れていかれる、移住の選択肢は、ありません。いつかは人間になれるのだろうと、楽観、うそ、実は、諦念。同じことを繰り返して、肥るばかりの体を持て余す。
今日は、日本は雪だってインターネットで言っていた。こっちは晴れ。特に出かけることもなく窓から太陽を見ていた。誰かが誰かの悪口を言っていて、ひどいなあって思うけれど、自分が本当にそう思っているかもわからなくなって、わたしはわたしの悪口をめいっぱい言ってみる。反響する。青い空を見る。
話題を追う。子どものエロティカとポルノの区別のお話をずっと読んでいたら気分が悪くなってきてチョコレートを頬張って思う。ねえ、わたしね、もう、少女でないわたしがうれしくってたまらないの。肥った白い体。おとな、おとなの体。ポルノ女優と似通ったおとなの体である、わたし。自らの責任において肉体を行使できる自由なおとな。そしてチョコレートを頬張る。古い投稿雑誌で見た小さな女の子たちの記憶を消しながら、甘さに逃げる。
すてきね。自由なおとなは、しあわせね。
今日もまた頭の中に逃げているのねって小さな女の子たちが合唱するけれど、あの子らは作り物だから気にしないの。その中に、小さなわたしがまぎれていても。

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1/26

少年アヤちゃんが言う、「ブスかどうかは好きな男のチンコが決める」、私はネットに渦巻く自称ブス批判にうんざりしていたので、この言葉がスッ、と出てくるアヤちゃんには惚れた。(前から惚れてるけど)
さて、私はよく可愛い女の子に劣等感を抱く。そして、嫉妬する。嫉妬すること自体がおこがましくて全方位に謝りたくなるくらい嫉妬する。好きなのにどうしてっ、ごめんなさい!ごめんなさい!と脳内はアホみたいに忙しい。でも、実際に可愛い女の子と対面している時は実は全然嫉妬しないのだ。きらきらしてるう!可愛い!すごい!大好き!と、じろじろ見ちゃわないように自制するのが精一杯、何から目線か、生まれてきてくれてありがとう、とまで思う。可愛い女の子ってすごい。しかも、可愛い女の子が私を人間扱いしてくれる。すごい。しかも、たまに、ごくたまに、可愛い女の子が可愛いって言ってくれることもあるのだどうしよう嬉しくて死んじゃうっ!
嫉妬してしまうときというのは、可愛い女の子の写真、グラビア写真を見ているとき、映像を見ているとき、とにかく、なにかしらの作品を見ているときだと気付いた。あれ、単純に可愛さに嫉妬しているのではない……?ブスが環境なら可愛さだって環境だ。顔の造作も重要だが、それだけではない。可愛い女の子が可愛さを発揮できる環境で更なる可愛さを発しているその姿、環境に嫉妬しているのではないか、というのが最近の仮説である。
話は戻る。私はロマンチック・ラブによる肯定「だけ」では救われないと考えているタイプだ。それは風邪薬みたいなものだと思う。とりあえず、症状を抑えてくれるけど、ウイルスは殺してくれない。恐ろしい副作用も、ある。自分しか自分を治すことはできない。
「こじらせ女子」という言葉もだいぶ浸透したけれど、恋愛を介して認められることと、私のこじらせは、まったく別のファクターで…「こじらせ女子」が恋愛しか考えてないという意味ではなくって、承認を求めてしまうって、意味で、さ。私はまだ、自分に向いた薬をどう手に入れ、どう与えていけばいいのかはまだ分からない。
前に、雨宮まみさんの「女をこじらせて」の連載をリアルタイムで読んでいたときも、共感できたのは容姿コンプレックスの部分で、(私も思春期すごく肌が汚かった)、それ以外の部分は、むしろ羨ましい部分すらあった。こんな感じで、他人から見て、どうして?ってなるのがやっぱりこじらせって部分なんだろうかと思ったり。
私は可愛い女の子になりたくて、うまくなれなくて、あれこれ工夫して、可愛い女の子に見えるように偽装して、写真を撮る。そういう写真です。本当はいつでもどこでも素直に可愛い女の子に好きって言いたい。可愛い女の子の写真は鏡のように私の醜さを映すときがあって、その瞬間、泥が詰まった人形になったような気分になる。どろり、と口から出てこようとする醜い泥を飲み込んでいる。

http://i-charlotteblue.tumblr.com/post/41509390040/1-26

1/29

オタクは美少女になりたいんだ説が飛び交うインターネットでうずくまるアイドル志望の私(21)、思春期は男の子になりたくってなりたくって、そうだな、例の日比谷高校に行くような男の子になりたかったんだよ、薫くんみたいな。それには女の子だってことは邪魔で仕方なくって自意識だけこじれて、やっと、そうだまだ美少女のほうが近づけるんじゃないのって気付いたのが最近でアイドルオーデに応募して、頭が悪いのにそんな男の子になりたいと願って別にそうなる努力もしなくって成人しちまった私の今日のおやつは塩豆大福です。かわいいね。かわいいのかな、でも、自分のことをあんまりひどく言うのも自分のためにならないので、たまにはかわいいと言ってあげる。空元気も元気のうち、空かわいいもかわいいのうち、頭悪いんだからまあいっか、と鏡を見ないことがポイント。
そんでまあ日記らしい日記なんですけど、ドラマ「夜行観覧車」の公式サイト行ったらなんと音楽が!流れる!仕様でびっくりしました最近のサイトでもこうなんですか、あんまりインターネットには明るくないので突然の主題歌にビビりました、あと、主人公の真弓さんにどういう教育雑誌をおすすめしていれば悲劇を回避できたか、という妄想を主にしていました。ねえ、私、ほんとに、ほんとにね、知的で文化的な男の子になりたかったんだよ……どこで足を踏み外したのかなって考えると落ち込むから少なくとも写真上では美少女に偽装できるんだしいっか☆と明るく楽しく考えるよ。よいのかよくないのか私にはわからないし、男の子にはなれないって知ってるから今日もそうやってごまかすよ。

http://i-charlotteblue.tumblr.com/post/41785821951/1-29

1/30

昨日の続きだけれども、順番はわからない。でも若者ってことばに私は含まれていないなって気付いて悲しくなって、「男の子」だったらなって夢想したのかもしれない。生身の、現実の男の子とは別の、いいとこどりの「男の子」。異性への勝手な幻想。
女の子の世界。自分からティーン向けファッション誌を手に取ったことはなかったけれど、一度、中学生のときにひょんなきっかけで(読者じゃないのに)全国の読者みたいなコーナーに小さく載ったことがある。それで覗いてみたのが初めてだった。こわい、と思った。今風に、強烈なリア充オーラに恐れをなした、といえば少し面白みも感じられるけど、そんな引いて見る余裕もなくて、子供らしくて子供らしくない子供を楽しむその世界は強烈だった。
現実とのギャップ、都会的な女子学生の華やかさ。憧れを感じるより前に、このような雑誌が存在するのに、それが悪とされている抑圧への憎しみ、いいえ混乱。混乱からの、恐怖。もともと被害妄想的な心をえぐるには十分で、小さいころからのイライラは増幅されていった。情報。たくさんの情報。いまどきの女の子はいまどきの女の子はいまどきの女の子は、ナルミヤファッションの流行にミニモニにりぼんに3年2組に、わたしには関係ない世界で、興味もなかったはずなのに、いまどきの女の子はいまどきな女の子は……女の子というか、「少女」、都合よく使われるから嫌いだった。少なくとも体は大人になった今はとても楽になった。
女の子の世界とされているものは、ただただこわくて、憧れの「男の子」の世界はまっすぐ大人の世界につながっていたように、見えた。そして、別に「男の子専用」だとも書いていなかったから、最初は、「男の子」になりたいことすら気付かなかった。でも少しずつ違和感、なんか、やな気分。早く大人になりたかったのに、女の子のままだと道は閉ざされているように、見えた。ああ、ごめんなさい。謝る方向もわからない。本当に、順番はわからないの。

http://i-charlotteblue.tumblr.com/post/41866784196/1-30