iCharlotteblueの備忘録(新)

TwitterやTumblrの文章まとめとか、制服とか、日記とか、告知とか。

NNNドキュメント「日本の性教育 セックスをどこまで教えるか」を見て

NNNドキュメントを見た。テーマは性教育だ。

00年代前半。「過激な性教育」バッシングの渦中で、ちょうど義務教育を受けていた。
ちょうどその時期、ネット上でも、性の低年齢化を嘆く、いや煽るような文章がポルノ的に消費されているのを目にした。明らかにデマである、とある性の低年齢化を表す文章の初出を調べてみたことがあるが、ちょうどその時期と合致していた。
私は、91年生まれである。
寝た子を起こすな。よく言われる言葉だ。
地域、学校によって受けてきた教育は異なる。しかし、私はよく十把一絡げにされる今時の若者の一員。私達は、教育によって起こされたのか?「不適切な」「早すぎる」性への好奇心を刺激されたのか?

話 は逸れるが、私が不適切な性情報を得た、いや、得てしまったのは、本屋である。ゾーニングの緩い時代。表紙も過激なポルノ雑誌は児童向け書籍コーナーから 遠くない位置にあり、幼かった私に強烈な印象を残したのは、幼い子供が性的に興奮しているイラストの表紙である。大人の女性ではなく、自分と同じような幼 い子供が煽情的に描かれていたそのときの衝撃は、いまでもはっきりと覚えている。
このように、「不適切な」、あくまでフィクション、ポルノとして 作られた性のイメージ、情報は求めずとも入ってくる。保護者がいくら気をつけようとも、無菌状態で育てるのはほぼ不可能だろう。痴漢やつきまとい、声かけ といった性被害から、性に触れた不幸な子供、大人になって気づき、更に傷を深めた人も多いだろう。

前置きが長くなった。
番組は、母親たちが教える、「いのちの授業」から始まる。
性交渉についても、直接的で、いくつかの教材は正直悪い意味でドキッとした。
しかし他の教材や、同じような内容について述べたドイツやスウェーデンの教材を見ると、イラストもやさしい雰囲気で、センシティブでシリアスな内容だからこそ、デザインの重要性を感じた。

そ して話は、例の2005年の国会、山谷えり子議員の質問が発端の、発足された過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチームへ。その調査 や、槍玉に挙げられた教材を見て、正直、中学生だった当時の私は、「過激だ」と眉をひそめた。いわゆるバックラッシュ報道を真に受けていた者の一人であ る。
自民党の山谷えり子議員は、婚前交渉に否定的だ。
結婚まで貞操を守るという考え方それ自体は否定されるべきものではないと思うが、そ の思想を公の教育に反映させてもいいのだろうか。正しい情報が与えられ、それこそ、自分の身体は自分のものであるという意識を持つことができて、はじめ て、選択できるものではないだろうか。性交渉を持つかどうか自分で決めるというのは、安易な性交渉を助長させるというのは誤解だと思う。そうしてはじめ て、性交渉しない自由を持つことができると思うのだ。

三重県いなべ市の性教育への取り組み。
産婦人科医の川村氏による課外授業。本課ではないので、文科省の学習指導要領に縛られることもない。
しかし、確実な避妊法であるが認可も遅く社会的に忌避感情も高かったピルや、性感染症の写真を中学生に見せ教育することに教師も戸惑う。「リスクを教えることは、方法を教えることではない。正しいことを教えれば、子どもだって理解する能力がある」と川村医師。
いなべ市でも以前、性教育バッシングがあり、不安があるという。
どういう方から批判があるのかという質問には、「たとえば、偏った教育をしているのではないかと言われる方々」と言葉を濁していた。
そして中学校で行われた川村氏の性教育講座。
「今 日は最初から最後までセックスの話です」笑う生徒たち。しかし望まない妊娠をきっかけに起きた事件の話から、生徒の顔は変わっていく。性感染症、避妊、子 宮頸がん、そして、心と体の暴力、デートDV。愛と暴力は違うということ。締めくくりは、心の健康。自分を大切にすること、そして、相手を大切にするこ と。
講座後、打ち合わせの時は曇りがちだった教師の顔は笑顔になっていた。子どもたちの感想が全てですから、と。

秋田県でも、医師による性教育講座が年間60の中学校・高校で行われている。かつて全国平均を大きく上回っていた10代の人口妊娠中絶率が、講座を始めてから低下し、今では大きく下回っている。効果ははっきりと出ている。
「正しい知識を持っておくことは決して悪いことではない」と講師を務めている高橋氏。

30分の番組であるが、親、教師、医師の取り組み。子ども自身の捉え方。
性教育バッシングの発端、当時の国の方針。バランスよく盛りだくさんの内容であった。

避 妊法を教えることによって、安易なセックスに走るという考え方は、裏を返せば、妊娠するかもしれないという恐怖で女性の貞操を保たせようとしているわけ で、それはFGM(女性器切除)と同じ発想ではないか。女性は悪魔と通じる存在ではない。それにしても、ピルや子宮頸がんワクチンへの忌諱意識はどこから くるのであろうか。女性の性/女性器を悪魔的なものとし、性感染症や望まない妊娠、がんをまるで「望ましくない」女性への制裁と捉えているようだ。
ま た、妊娠出産のコラムや雑誌を読むと、女性は<自然>に分類される存在で、未だに子宮は呪術性を持たされているのだと感じる。女性は子宮に支配され、再生 産の為に生きる、動物的存在。ピルや子宮頸がんワクチンを正しい知識もないままに恐れる意識も、そこから来ているのかもしれない。

あるべき姿、正しさへの執着。今よりも虐待や性暴力が看過されていた時代を思う。
私はひとつひとつ取り組んでいった先人たちに感謝している。そして自分自身も、それに立ち向かっていかなかければならないと、強く思っている。

http://i-charlotteblue.tumblr.com/post/50323147543/nnn